皆さんは、把瑠都(バルト)をご存知でしょうか?
エストニア出身で相撲で大関まで上り詰め、RIZINでも活躍した身長198cmの巨人で、約9年ぶりに格闘技界へ電撃復帰が決定!
2025年7月13日の「BreakingDown 16」では、ドーピング問題の赤沢幸典との制裁マッチに挑みます。
この記事では、把瑠都の生い立ちから相撲やRIZINの戦績、仕事、結婚、ブレイキングダウンへの挑戦など、詳しくプロフィールをご紹介します。
横綱の夢を怪我で断たれた男が、40歳を迎えてなお新しい道にチャレンジする姿に、私たちも勇気をもらえるはずです。
把瑠都(バルト)のwiki風プロフィール
引用元:ORICON NewS
本名 | カイド・ホーヴェルソン |
生年月日 | 1984年11月5日 |
身長 | 198cm |
体重 | 約189kg |
出身地 | エストニア・ラクヴェレ市 |
出場階級 | スーパーヘビー級・無差別級 |
格闘技歴 | 相撲・柔道 |
把瑠都凱斗(ばるとかいと)さんは、エストニア出身の元大相撲力士で、最高位は大関まで昇進した外国人力士です。
本名はカイド・ホーヴェルソンで、1984年11月5日生まれで、現在40歳(2025年7月)です。
把瑠都凱斗という四股名(しこな)は、彼の母国であるエストニアが面するバルト海と、本名のカイドを合わせたもので、把瑠都が所属していた三保ヶ関部屋の三保ヶ関親方が命名。
その後のRIZINでは「バルト」、BreakingDownでも「把瑠都」のリングネームで活躍しています。
その他ブレイキングダウン選手が気になった方は以下ページでまとめてるので、合わせてご覧ください!
把瑠都(バルト)の生い立ちとは?
把瑠都凱斗さん(本名:カイド・ホーヴェルソン)は、1984年11月5日にエストニアの小さな村で2男1女の次男として生まれました。
幼少期と家庭環境
引用元:Googleマップ ラクヴェレ
把瑠都さんはエストニアの首都タリンから東へ約120kmのレーネ=ヴィル県のラクヴェレ郡ロフ村(現在のラクヴェレ市)という自然豊かな農業地域で育ちました。
実家は農家で、一番近いスーパーまで10kmという緑豊かな森や広大な畑、牧草地に囲まれた環境の中で生活していました。
Googleマップで見てみましたが、現在も把瑠都さんが生まれた時と変わらない農業が盛んな町のようです。
引用元:浦賀屋宝庫守ファイルHP
把瑠都さんは幼い頃に父親を亡くし、母親の女手一つで育てられ、いじめを受けるなど、あまり恵まれない幼少期を過ごしました。
特に、やさしい性格と巨体が原因でいじめを受け「とにかく強くなりたい!」という強い思いを、常に抱いていました。
この経験が、後に彼をスポーツの世界へと導く原動力となります。最初はバスケットボールに挑戦し、その後柔道へと進みました。
相撲との出会い
把瑠都さんの人生を大きく変える転機は、12歳のときに相撲を初めて体験したことでした。
地元に国際相撲連盟の理事夫妻が訪れた際の出会いが、彼の運命を決定づけました。
最初は「何で裸になるんだろう?」と戸惑いながらも、力と力のぶつかり合いに夢中になった把瑠都さんは、地元の相撲道場「SAKURA」で稽古に励むようになりました。
高校時代と日本への道
引用元:浦賀屋宝庫守ファイルHP
高校時代の把瑠都さんは柔道のエストニアジュニア王座に輝いています。
早くに父親を亡くした影響で生活は決して楽ではなく、バーの警備員として働きながら、トレーニングを続ける苦労の日々の中での優勝でした。
ある日、エストニアで相撲大会が行われ、試合の後、日本から来た力士と指導者が「お前強いな。日本に来ないか?」と把瑠都に声をかけました。
そして、その2ヵ月後には航空券が届いて日本行きが決定。
こうして2004年、19歳の把瑠都さんは「未知の国・日本」へと旅立ち、三保ヶ関部屋に入門して大相撲の世界に足を踏み入れることになったのです。
把瑠都は、親孝行者としても知られており、女手一つで兄弟3人を苦労して育ててくれた母親を楽にさせてあげたいとの思いで、遠く離れた日本で、「相撲」という道を選んだそうです。
把瑠都(バルト)相撲戦績
把瑠都は、2004年5月に初土俵を踏み、2010年5月場所から2012年11月場所まで15場所間大関を務めました。
引用元:相撲レファレンスHP
相撲戦績表
把瑠都の生涯通算成績は、431勝213敗102休(56場所)となっており、大関としては133勝69敗23休(15場所)の戦績を誇っています。
各段位別成績
段位 | 勝数 | 敗数 | 休場 | 在位場所数 | 勝率 |
---|---|---|---|---|---|
幕内 | 330 | 197 | 88 | 41 | 62.6% |
大関 | 133 | 69 | 23 | 15 | 65.8% |
関脇 | 85 | 58 | 7 | 10 | 59.4% |
小結 | 20 | 10 | 0 | 2 | 66.7% |
前頭 | 92 | 60 | 58 | 14 | 60.5% |
十両 | 54 | 7 | 14 | 6 | 88.5% |
把瑠都 vs 白鵬
大関昇進
把瑠都の相撲人生で最も印象的だったのは、2010年3月場所での大関昇進を決めた場所です。この場所で彼は14勝1敗という素晴らしい成績を残し、白鵬と千秋楽まで優勝争いを繰り広げました。
優勝こそ逃したものの、大関以下の力士を全員破る圧倒的な強さを見せつけました。
また、2009年9月場所では小結の地位で12勝3敗の成績を挙げ、保志以来23年ぶりに関脇以下の力士による5大関撃破を果たすという快挙を成し遂げました。
相撲界にとって大きな「もしも」の一つ
引用元:X【日本相撲協会公式】
これだけの成績を収めた把瑠都は「横綱の器」と評価されながらも、相撲界の頂点に立つことはできませんでした。
彼にとって最大の横綱昇進のチャンスは、2012年1月場所でした。この場所で初めての幕内最高優勝を果たし、相撲界全体が彼の横綱昇進に注目していました。
しかし、2012年1月場所の優勝後、怪我の影響で成績が急激に低迷し、2012年11月場所限りで大関から陥落してしまったのです。
把瑠都の横綱昇進が実現しなかったことは、相撲界にとって大きな「もしも」の一つとして語り継がれています。
もし怪我に悩まされることなく、技術的な課題を克服できていれば、エストニア出身初の横綱として歴史に名を刻んでいたかもしれません。
しかし、現実は厳しく、2013年9月場所前に十両の地位で現役引退となり、横綱の夢は永遠に叶わぬものとなりました。
把瑠都(バルト)RIZIN戦績
元大関・把瑠都凱斗さんは、2013年に相撲界を引退した後、2015年にRIZINで格闘家としてデビューしました。相撲出身の格闘家として注目を集めた彼の参戦経緯と戦績をご紹介します。
格闘技への憧れと転身のきっかけ
把瑠都は相撲引退後、実業家としてビジネスの世界で活動していましたが、「もっとできるのではないか」という気持ちを常に抱いていました。
もともと19歳まで柔道をしており、「格闘技は愛しています。子供のころからやってみたいと思っていました」と格闘界への興味があったと語っています。
転機となったのは、リトアニアKOKのドナタス氏からの声かけでした。
把瑠都は「リトアニアのプロモーターであるドナタスさんに声を掛けてもらったときは、嬉しかったですね。ようやく大きなチャンスが来たな、と。ここでやらなくていつやるんだという気持ちになりました」と振り返っています。
KOKは「King of Kings」の略称で、リトアニアを拠点とするヨーロッパ最大級のキックボクシング団体です。
RIZIN参戦の決断
引用元:公式【RIZINFF】
2015年10月22日、RIZINの旗揚げ興行である「RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2015 さいたま3DAYS」への把瑠都の参戦が正式発表されました。
把瑠都は記者会見で「世界一強い格闘家を目指して頑張ります。私も楽しみですが、みなさんも楽しみにしてください」と意気込みを語りました。
把瑠都のRIZIN戦績表
勝敗 | 対戦相手 | 結果 | 大会名 | 日付 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
勝 | ピーター・アーツ | 判定3-0 | RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2015 | 2015年12月31日 | RIZINデビュー戦、K-1レジェンドに勝利 |
勝 | 藤田和之 | 判定3-0 | RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2016 無差別級トーナメント | 2016年9月 | トーナメント1回戦 |
勝 | 高阪剛 | 判定3-0 | RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2016 無差別級トーナメント | 2016年10月 | トーナメント2回戦 |
敗 | ミルコ・クロコップ | KO負け | RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2016 無差別級トーナメント | 2016年12月31日 | トーナメント準決勝、格闘技引退のきっかけ |
把瑠都 vs 高阪剛
把瑠都は自身の198cmの巨体と体重差を最大限に活用し、相手を抑え込むような形で試合を進めました。いわゆる「塩漬け」と呼ばれる状態です。
判定3-0で把瑠都の勝利が決まると、会場からブーイングが起こりました。
勝利者マイクを手にした把瑠都は、会場のブーイングに対して「じゃあ、私の代わりにやってみてくださいよ」とコメント。
「やると見るとじゃ大違い」といったところでしょうか?
把瑠都 vs ミルコ・クロコップ
引用元:YouTube【RIZIN FIGHTING FEDERATION】
把瑠都とミルコ・クロコップの対戦は、相撲出身の選手が格闘技界のレジェンドに挑むという構図で、大きな注目を集めました。
把瑠都は開始直後の”立ち合い”で相撲の経験を活かし、ミルコ・クロコップをコーナーに押し込むことに成功しました。
しかし、ミルコは冷静に対応し、左膝を把瑠都の腹部に突き上げました。
把瑠都は腹部を押さえながら後ろ向きに倒れ、そのままKOを宣告されました。
把瑠都は試合後、この一撃について「みぞおちに入って、食らったことのないダメージが来た。一気に息が止まった。ビックリした」と語り、相撲では経験したことのない種類のダメージだったようです。
この一戦が、把瑠都にとってのRIZINキャリアそして格闘技人生の終わりとなりました。
しかし、2025年7月のBreakingDown16への参戦が発表され、彼の新たな格闘技人生が始まったのです。
把瑠都(バルト)BreakingDown電撃参戦
元大相撲大関の把瑠都凱斗が、2025年7月に開催される格闘技イベント「BreakingDown 16」への参戦を発表し、格闘技界に大きな衝撃を与えました。
BreakingDown16:オーディション
把瑠都は、BreakingDownへの出場理由を次のようにコメント。
「BreakingDownを見てて、あまり体の大きな人がいなさすぎて。ヴィーガンみたいな選手の集まりだから、私みたいな人間も出たらいいなと思って」
「把瑠都の部屋」企画
引用元:YouTube【朝倉未来 Mikuru Asakura】
オーディションでは「把瑠都の部屋」と題した企画が行われ、BreakingDownの選手たちと対面し、対戦相手を物色した把瑠都。
最初に対峙したのは身長160㎝の悪童・レオでした。把瑠都の身長は198㎝。体格差はまるで大人と小さな子どもです。
レオが助走をつけてタックルを仕掛けましたが、把瑠都はびくともしません。把瑠都はレオをあっさりと抱え上げて子ども扱い。
それでもレオは果敢に突進していきましたが、最終的に「10回やったら1回は勝てんな。今日はもうやめといたるわ」と捨てゼリフを吐き退散。
把瑠都は「もうちょっと大きくなってね」「子どもやなホンマ」と苦笑いしました。
赤沢幸典も登場し、終始笑顔で把瑠都を褒めてアピールする作戦(?)
「お相撲さんとするんだったら寝技とかじゃなくキックボクシングルールで1分間でやった方が面白いんだろうな」と対戦を要望しました。
把瑠都は以下の選手とも対面しましたが、「把瑠都の部屋」では、対戦相手は決まりませんでした。
- 高橋知哉(WBFの世界ヘビー級チャンピオン)
- 10人ニキ(相撲をとって一瞬で釣り上げられる)
オーディション:S group
引用元:YouTube【朝倉未来 Mikuru Asakura】
BreakingDown16オーディションに登場した把瑠都。オーディション会場に姿を見せると、会場が「おおぉ」と一斉にどよめきました。
「BreakingDown人気になってきてるから、遊びに来ました」「大きな相手と試合したいなと思って来たんですけど、なかなか大きな相手いないから」と自己紹介。
金田一孝介が「横並んでいいですか?めちゃくちゃデカいですね」とひな壇を降りてくると、村田やレオらも把瑠都の周りに集まりました。
そこへ、「君たちの獲物じゃないから」と、どや顔で赤沢幸典が登場。会場に緊張が走ります。
赤沢は「把瑠都さん仕留められるの俺しかいないと思うんで」と、キックボクシングルールでの対戦を要望。
舞杞維沙耶が「把瑠都とやりたい」とアピールし、溝口勇児COOはぶーちんに「ぶーちんはどう?把瑠都さんとかは?」と打診。ぶーちんは「誰でもいいっすよ」と即答。
把瑠都は自分の横に立っているぶーちんに「ちょと一回立ってもらっていいですか?」と振り、ぶーちんは「立ってんだろ?バカ」と返す、コントのような展開に、会場は笑いに包まれる場面もありました。
朝倉未来CEOは「ちょっと一旦考えますね」と、ここでも把瑠都の対戦相手は決まりませんでした。
BreakingDown16:「捻り潰してやる」赤沢幸典との対戦決定
引用元:X【公式BreakingDown16】
勝敗 | 対戦相手 | 結果 | 大会 | 開催日 |
赤沢幸典 | BD16 | 2025年7月13日 |
オーディションでは、赤沢幸典のドーピング問題を知らされていなかった把瑠都。
「後から聞いたら、あいつドーピングで体デカくしてる。舐めてるよ」
「オーディションの時それ知ってたらその場で捻り潰してた」
と、怒りを露わにし「格闘技界舐めるな」と、薬物制裁マッチへの意気込みを見せています。
把瑠都にとってこの試合は、2016年大晦日のRIZINでミルコ・クロコップに1R KO負けして以来、約9年ぶりの格闘技復帰です。
体格差を活かした把瑠都の戦術と、赤沢の技術がどのように噛み合うかが見どころとなりそうです。
その他ブレイキングダウン選手が気になった方は以下ページでまとめてるので、合わせてご覧ください!
把瑠都(バルト)の職業・年収は?
引用元:地球の歩き方HP(バルト・ロッジ)
元大関・把瑠都凱斗(カイド・ホーヴェルソン)は、多方面で活躍しています。
把瑠都は実業家として、多くの事業を展開しています。
上記以外にも、把瑠都は現在も日本とエストニアの架け橋として活動しています。
母国エストニアで相撲普及活動に尽力しており、白鵬の「世界相撲グランドスラム」構想にも賛同。
また、相撲だけでなく、文化やビジネスでの交流にも力を入れています。
20194月から2023年3月には、エストニア議会議員を務めており、2020年2月、ラタス首相に同行して来日。
安倍首相との会談に参加し「日・エストニア関係の強化に尽力されていることに感謝申し上げたい」との言葉を受けたこともあります。
具体的な年収はわかりませんが、元大関としての知名度と、実業家としての立場を活かし、様々な事業や交流に積極的に力を注いでいます。
把瑠都(バルト)の家族や彼女は?
引用元:The Asahi Shinbun GLOBE+
把瑠都は2009年にロシア出身のエレナ・トレクボワさんと結婚しました。エレナさんは把瑠都より2歳年上。とても美人でスタイルのいい方ですね。
2人の出会いは、エレナさんの母親が経営する東京都内のロシア料理店でした。
この店でエレナさんが働いていた時に出会ったそうで、初めて会ったときに把瑠都の大きな体にも驚かなかったというエピソードが残っています。
把瑠都とエレナさんには、タール君という息子さんがいます。
把瑠都一家は2018年にエストニアに帰国しており、その時に5歳という情報があるので、現在は12歳前後ぐらいでしょうか?
エレナさんは把瑠都について「子どもが生まれてからより優しくなった」「家事もものすごく助けてくれる」と語っており、居心地のいい家庭を築いているようです。
まとめ
エストニアの小さな村から日本の相撲界で大関まで上り詰めながら、横綱まであと一歩というところで、怪我に泣き引退した把瑠都。
その後挑戦したRIZINでは3勝1敗の活躍。相撲出身者としての意地を見せました。
現在は、実業家として成功を収め、母国エストニアでエレナさんとタール君と、幸せに暮らしています。
しかし、格闘家としての血が騒ぐのでしょうか。日本のBreakingDownで、約9年ぶりに格闘技界に電撃復帰。
2025年7月13日に大阪で開催されるBreakingDown16では、ドーピング問題の赤沢幸典との対戦が決定しています。
体格差がありすぎて薬物制裁マッチとも言われていますが、把瑠都が「格闘技界舐めるな」の怒りをぶつける見応えのある試合になりそうです。
40歳になってもまだまだ挑戦し続ける把瑠都の活躍から目が離せません!