皆さんは、“伝説の喧嘩師”と言われるアンディ南野さんをご存知でしょうか?
暴走族狩りや1対50の大乱闘など、武勇伝は数知れず。地下格闘技「喧王」では2度の優勝。喧嘩だけでなく、リングでも圧倒的な強さを見せてきたました。
2025年7月に行われるBreaking Down16には、満を持しての出場が決まり、「“浪速の暴れ馬”アンディ南野」として、地元大阪を飛び出し全国区で注目が集まっています。
この記事では、お騒がせな一面を持ちながら、人情味あふれるアンディ南野さんの半生や、家族・仕事・格闘技への熱い想いを、エピソード満載でご紹介します!
アンディ南野のwiki風プロフィール
引用元:YouTube【アンディ伝説】
本名 | 南野隆司(みなみの たかし) |
生年月日 | 1979年2月10日 |
身長 | 172cm |
体重 | 80kg |
出身地 | 大阪府大東市 |
出場階級 | ミドル級 |
格闘技歴 | 柔道 |
「スーパースターアンディ南野です!」由来は?
アンディ南野さんが、「スーパースターアンディ南野です!」と名乗る理由をご存じですか?
アンディの由来は、高校時代に器械体操で身につけた柔軟性を活かし、かかと落としを得意技としたことから始まります。
この技が、K-1のアンディ・フグ選手の代名詞だったため、地元の後輩たちが自然と「アンディ」と呼ぶようになりました。
また、スーパースターというのは、マイケルジャクソンに由来しているらしく、マイケルジャクソンのように「世界中の人に夢や希望を与えたい」との思いで、こちらは自ら名乗っているそうです。
その他ブレイキングダウン選手が気になった方は以下ページでまとめてるので、合わせてご覧ください!
アンディ南野の生い立ちとは?
アンディ南野の生まれ育った町・大東市
引用元:Instagram【t.b.nation_andy_】
アンディ南野さんは、大阪市北区堂山という、梅田エリアの北東に位置し、周辺は歓楽街やビジネス街として賑わうエリアで生まれました。
1歳の頃、奈良と隣接する大阪府大東市に引っ越し、その後もずっと大東市で暮らしてきました。
彼が10代・20代の頃の大東市は「日本で一番赤字の町」「少年犯罪日本一」「ひったくり日本一」など、治安や学力の面で荒れた環境でした。
今はアンディさんも、子育てにあまり適さない町じゃないかと振り返っていますが、当時はそれが普通だと感じていたそうです。
アンディ南野の幼少期
アンディさんは、小学6年の時に身長が140㎝ぐらいで、あまり体は大きくはなかったのですが、小学校の入学式の日、1つ年上の近所のガキ大将を泣かせたというエピソードがあります。
親から喧嘩について「弱い者いじめしたんか?」と問われ、「いや、1個上やから…」と答えると、「弱いものいじめはするなよ。喧嘩はしゃあないけど」と、怒られることはありませんでした。
この経験から、「喧嘩をしても怒られない。なんなら、喧嘩を極めていけば父親に褒められるかもしれない」と考えるようになったのだとか。
そしていつしか、喧嘩で世界一になりたい、そのためにはまずは日本一の喧嘩師なろうと、決意を固め、喧嘩に明け暮れる学生時代を過ごしました。
アンディ南野の部活は化学部!?
喧嘩自慢からは脱線しますが、アンディさんは中学時代の部活が、化学部だったという意外な一面があります。
喧嘩に明け暮れながら化学部、というギャップにびっくりしてしまいますが
「〇〇と△△酸を合わせて結晶を作るとか、ビーカーで沸騰させてなんかするとか。そっちが好きやったから。いまだにちょっとオタク質はあるから」
と、YouTube・街録chでのインタビューで語っています。
アンディ南野の高校生活
引用元:Instagram【t.b.nation_andy_】
17歳
アンディさんは、中学3年で進学先を決める際、金銭的な理由で公立高校しか選択肢はなく、進学校かヤンキー校かの2択を迫られました。
ヤンキー校は嫌だと思ったアンディさんは進学校を選択。その為に塾に通い、授業も教卓の前の席で必死で勉強し、進学校に見事合格しました。
しかし、勉強を無理して入ったので、授業についていくことができず留年を繰り返し、結果的に高校を卒業するのに6年の時間を費やしています。
6年間というのは、1年生を2年間、2年生を3年間通い、弟が入学してくるということで、さすがに中退。その後、別の通信制高校に1年行ってなんとか高校を卒業しました。
高校は、頭のいい子が多く楽しくなかったそうですが、3つの部活に入り、本来の部活の趣旨とは異なる気もしますが”喧嘩が強くなるための”トレーニングに励んだそうです。
- 柔道部:体の使い方やバランス、受け身などの基礎的な技術
- ラグビー部:ラグビー選手たちと一緒に筋力トレーニングを行い、強靭な肉体とパワー
- 器械体操のクラブ:体幹やバランス、柔軟性、瞬発力など自分の体を自由自在に操る技術
特に、「器械体操始めてからは一対一のドツきあいなら負けてない」と語っており、意外にも器械体操の経験が喧嘩に活きているようです。
“伝説の喧嘩師”アンディ南野
高校では暴走族狩りをして1対多の喧嘩も日常茶飯事。アンディさんの姿を見かけると逃げ出す者も多かったと言われる”伝説の喧嘩師”アンディ南野さんについてお伝えします。
アンディ南野の暴走族狩りエピソード
アンディさんの暴走族狩りエピソードは、破天荒なものが多く、少しクスッと笑ってしまう場面もありますので、ご紹介しますね。
アンディさんは、目をつけたのは暴走族がコンビニの前によくたむろすこと。
駐車場や看板の裏に隠れて待ち伏せし、彼らが入ってきたところを逃さずにしばくというやり方で襲撃していました。
しかし、何度も繰り返し手口がバレてくると、暴走族は交差点でキョロキョロしてアンディさんがどこかに潜んでいないか警戒し始めます。
その裏をかいて、なんとアンディさん、電信柱から交差点の真ん中に飛び込んだり、ぶら下がっていた信号機から飛び降りるという決死の奇行で襲い掛かっていたのです。
そんな事を続けていると、暴走族はアンディさんを見かけるとUターンして、集会を解散するようになりました。
アンディさんは「しばかれるのも嫌やし、梅田やミナミに走りに行くのに、ボロボロの原付でついてくるから仲間と思われたくなかったんだろな」と、暴走族の心境を分析しています。
他にも後輩に、暴走族との喧嘩の応援を頼まれ「自分の腕試しをしたい」との興味で参戦。後輩たちは集まった暴走族の多さに恐れをなして逃げ出してしまいます。
最終的に50人以上の暴走族相手に1人で立ち向かい、金属バットで殴られ頭が割れる大けがを負いながらも、必死で走って逃げたという大乱闘事件も語られています。
暴走族へのやきもちと本音
自分には協調性がなく友達もいなかったため、喧嘩はいつも一人だったと語るアンディさん。
暴走族のこを「実は嫌いじゃなかった。本当は仲間に入りたかったし、仲良くしたかった」と当時の心境を明かしています。
一方で、仲間が多くて楽しそうな暴走族に対して、「やきもち」や「群れて強いと思うなよ」という反骨心が芽生え、1人でも負けないという気持ちが強くなったと、当時の心情を率直に吐露しています。
年齢を重ね、自分の気持ちに素直に向き合うことができる今だから話せる本音かもしれませんが、実直で裏表のない人柄が感じられます。
アンディ南野の戦績
アンディ南野選手は「喧王」で2度のトーナメント優勝を果たし、圧倒的な強さを見せつけました。
最初は、朝4時に起きて足場組の仕事をし、仕事を早退させてもらって試合会場へ向かったという強行スケジュールだったそうで、一説にはお酒を飲まずに戦ったことはないという情報も…
それでも勝ち進んでいくアンディ選手。伝説の喧嘩師と言われるだけのことはありますね。
「喧王」は、街の喧嘩をリングに上げるというコンセプトで始まった大会で、2005年の創設から約8年間続き、2013年3月に解散しています。
サップ西成選手やヒロ三河選手も参戦していた大会です。
「喧王」第一回トーナメント(2005年11月)
項目 | 内容 |
---|---|
リングネーム | アンディ |
体格 | 172cm・85kg |
結果 | トーナメント優勝 |
試合 | 相手 | 相手体格 | 結果 |
---|---|---|---|
第一試合 | 省二 | 185cm・120kg | KO勝 |
第二試合 | 陽介 | 180cm・75kg | 判定勝 |
第三試合 | ヒロシ | 177cm・85kg | TKO勝 |
「喧王」第二回トーナメント(2006年6月)
ノースター選手との決勝戦は、まさに死闘ともいえる熱戦で、アンディ南野選手の伝説を物語っています。
項目 | 内容 |
---|---|
リングネーム | アンディ |
体格 | 172cm・89kg |
結果 | トーナメント優勝 |
試合 | 相手 | 相手体格・年齢 | 結果 |
---|---|---|---|
第一試合 | 琢磨 | 172cm・67kg・20歳 | KO勝(喧嘩殺法) |
第二試合 | タケシ | 167cm・67kg | 判定勝 |
第三試合 | ノースター | – | 延長TKO勝 |
アンディ南野のCHAKURIKI(チャクリキ)戦績
アンディ南野選手は、CHAKURIKI(チャクリキ)には、グラップリングで出場。
CHAKURIKI11は、アンディ南野選手にとっては無念の引退試合となり、9戦9勝9KO無敗記録が崩れ、初の敗北を喫した試合と言われています。
勝敗 | 対戦相手 | 結果 | 大会名 | 開催日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
勝 | 田馬場貴裕 | 一本勝ち(アキレス腱固め) | CHAKURIKI 5 | 2020年2月 | 「プロレスラー田馬場貴裕の脚を破壊」と表現される圧勝 |
敗 | 将軍岡本 | 判定負け(0-3) | CHAKURIKI 11 | 2021年7月22日 | 引退試合。 |
アンディ南野の引退試合 へずまりゅう欠場
アンディ南野選手の引退試合は、2022年8月28日「PEACE」(大阪)で、迷惑系YouTuberとして知られる、へずまりゅう選手と予定されていました。
しかし、試合2日前にへずまりゅう選手サイドから熱中症を理由に欠場の申し入れがあり、試合は中止。
アンディ選手は、メインイベントだった自身の引退試合が消滅し、試合を楽しみに集まってくれた観客のために即席で「300万円懸賞金マッチ」を企画。
アンディ選手自身がATMで下した現金300万円を懸賞金として、対戦相手を募ったのです。
名乗りを上げたのは、ノッコン寺田選手の相方で、リーチ・マイケルをパロディーにしている、リーチマイルド選手。
アンディ選手は、格闘技経験がない彼に「大けがするかもしれない」と警告しましたが、リーチマイルド選手は「へずまりゅうを許さない」と強い決意を見せ対戦が決定しました。
試合は、アンディ選手の強烈な打撃で、リーチマイルド選手は顔が変形するほどのダメージを受けながらも、何度も立ち上がりました。
延長ラウンドまでもつれ込みましたが、レフェリーストップによるKO勝利でアンディ南野さんが勝利しています。
アンディ南野の引退試合 へずまりゅうドタキャン騒動
引用元:YouTube【アンディ伝説】
へずまりゅうと直接対決!!
リーチマイルド選手の勇敢な姿で、アンディ選手も観客や支援者に顔向けができたと心から感謝。
一方で、スポンサーから集めた総額500万円の協賛金は全額返金、チケットの払い戻し対応などでアンディ選手も約700万円の損害を被りました。
金銭的な被害だけでなく、”伝説の喧嘩師”の引退のために、華やかなスポンサー名入りのガウンやパンツも用意され、アンディ選手自身も7キロの減量を行いました。
まさに、彼の「格闘技の集大成」「最後の花道」として、並々ならぬ思いを持って準備を進めた引退試合だったのです。
そのため、試合が中止になって被った損害700万円を、アンディ選手はへずまりゅう選手に対して賠償を求める訴訟を起こすつもりでした。
アンディ選手は、対話を避け続け再度ドタキャンしたへずまりゅうさんに対して、最終的に東京まで行って話し合いの場を設けました。
その時のYouTubeのサムネイルでは、へずまりゅうさんが土下座していますが、内容はアンディ選手の筋の通った言い分と包容力が前面に出ている東京突撃になっています。
アンディ南野のブレイキングダウン参戦
アンディ選手は、Breaking Down16で本戦に初出場がきまりました。それまでにも、ブレイキングダウンでは多くのかかわりや因縁がありました。
Breaking Down9 アンディ南野 所沢のタイソンのセコンドにつく
引用元:YouTube【MAニュース【公認】】
BreakingDown9では、YouTube上で「ステゴロなら俺が一番」と挑発し合い、敵対関係にあったアンディ選手と所沢のタイソン選手。
しかし試合当日、タイソン選手側に格闘技経験者のセコンドがいなかったことや、完全アウェイな状況を見て、アンディ選手は「困っているなら助ける」という気持ちでセコンドに就きました。
対戦相手のごぼうの党・おくのたかし選手は「試合前にアンディ選手と話し合っていたのに、試合直前に相手側のセコンドにつき作戦をバラされた」と主張。
これに対しアンディ選手は「控室で奥野さんと会話はしたが、作戦の話は一切していない」と完全否定。
「おくのさんの体格や経験から前蹴りしかないと予想し、『前蹴り来るぞ』とタイソン選手に伝えただけ」と説明し、「聞いた作戦をバラすような卑怯な真似はしません」と強調しています。
アンディ選手は日ごろから実直で誠実な人柄として知られており、「そんな卑怯なことはしない」という声も多く、今回の行動については賛否が分かれました。
アンディ南野 悔やんでも悔やみきれない「ここ10年で一番のヘタ打ち」
引用元:YouTube【朝倉未来 Mikuru Asakura】
Breaking Down10オーディションでは、松井健選手が「サップ君に負けたけどその相方のアンディ君とやりたい」と対戦を持ちかけました。
しかしアンディ選手のターゲットは、あくまでBreaking Down9で因縁のある、ごぼうの党・おくのたくし選手でした。
アンディ選手は「俺のことチンコロ野郎とかゆーてるし」とおくの選手に挑発を仕掛けます。
しかしおくの選手は「サップさんには漢気を感じるが、お前には感じない。ねちょねちょナメクジ野郎。お前には興味がない」とさらに強烈な言葉で返しました。
この場面で、本来なら即座に言い返すか、ドつくかと会場からも視聴者からも期待された“浪速の暴れ馬”アンディ選手でしたが、何も言い返せず沈黙。
これが、アンディ選手自身が「ここ10年で一番のヘタ打ち」と悔やむ出来事となりました。
挑発に対して瞬時に“喧嘩師”のスイッチを入れられず、しかも「ちょっといいですか」と横入りしてきたバン中村選手に試合まで持っていかれるという失態。
大阪の人間にとって、晴れの舞台で笑いも結果も勝ち取れなかったのは本当に悔しかったようです。
おくの選手に「ナメクジ野郎」と言われた時の”間抜けな顔”プリントしたお米、「厄落米」を販売するなど、大阪らしいたくましさで笑い話に変えています。
アンディ南野 対 松井健 大暴れ
Breaking Down10オーディションで、松井健選手の服がビリビリに破れていたのが気になった方はいませんか?
実は、未公開映像では、公式と少し違うストーリーが見えてきます。
アンディ選手とおくの選手のやり取りに割って入ったのは、元々ヒロ三河選手だったようです。
そこに松井選手がからみ、アンディ選手と松井選手の乱闘に発展。松井選手の服が破れていたのはこれが原因だったようです
朝倉未来CEOが「このグループはいったん検討で」と保留。
その後、仕切り直しで再開されたオーデョションが公式のストーリーとして公開されました。
Breaking Down16オーディション ついに試合決定!
引用元:X【BreakingDown / ブレイキングダウン】
勝敗 | 対戦相手 | 結果 | 大会 | 開催日 |
てる | BD16 | 2025年7月13日 |
アンディ選手は、Breaking Down10オーディション以来、久しぶりにオーディションに登場。
やはりBD16は大阪大会ということで、黙って見ている訳にはいかなかったのでしょう。
「大阪大会をぜひ盛り上げる一役を担わせていただきたい」
と、自己紹介で応募理由を説明。
「アンディさん大阪大会盛り上げるんやったら僕たちでしょ」
てる選手がひな壇から立ち上がり、対戦を呼びかけました。
アンアディ選手が「ルールは素手?」と持ち掛け「素手は嫌です」と断られる場面もありましたが、試合は決定。
アンディ選手、初のブレイキングダウン本選出場が決まりました。
会場にはアンディ応援席を確保し、大応援団で挑むそうです。
大阪大会は地元の選手も多く出場するので、盛り上がりの期待値が膨らみますね!
アンディ南野 対 松井健 因縁の乱闘
てる選手との対戦が決まる前、オーデョション会場は瓜田純士選手率いる反乱軍の大乱闘があったようで、そこではアンディ選手と松井健選手も乱闘を繰り広げていました。
森選手が外枦保選手を大声で罵る音声をバックに、あちこちで因縁の相手との乱闘が繰り広げられ、アンディ選手と松井選手の姿もありました。
乱闘後、松井選手は前回からの因縁を理由に対戦を挑み、ここでまた乱闘に発展。
しかし、2人の対戦は実現しませんでしたが、このオーデョションでのアンディ選手の見せ場は、松井選手とのやりとりだったと言えそうです。
その他ブレイキングダウン選手が気になった方は以下ページでまとめてるので、合わせてご覧ください!
アンディ南野とサップ西成の絆
引用元:YouTube【アンディ伝説】
アンディ南野さんとサップ西成さんは、ともに地下格闘技大会「喧王」で活躍し、長年にわたり交流を持っています。
YouTubeでは度々コラボし、サップ西成さんの暗黒の時代を経て、『サップ西成自伝 奪還 「大阪最強の半グレ」と呼ばれた男』のプロデュースもアンディさんが担当。
サップ西成さんがトラブルで逮捕・釈放された際も、アンディさんが駆けつけ、YouTubeチャンネルで謝罪動画を公開し、サップさんがファンや関係者に直接メッセージを伝えられるようにしました。
また、アンディさんがブレイキングダウン本戦になかなか出場できなかった時には、サップさんが温かく見守り応援していました。
2人はお互いを盟友と呼び、とてもいい関係を築いているようです。
アンディ南野の武勇伝・故阿部元首相の警護も
アンディさんが単なる“伝説の喧嘩師”にとどまらず、地域社会や人命を守るためにその力を活かしていることを象徴する武勇伝をお伝えします。
コンビニ強盗の現行犯逮捕
2016年ごろ、アンディ南野さんは偶然コンビニで現金を奪って逃げようとした強盗に遭遇。
相手はカッターナイフを持っていましたが、アンディさんは冷静に取り押さえて現行犯逮捕し、警察に引き渡しました。
火災現場での人命救助
2018年には地元・大東市の自宅向かいの家で火災が発生。アンディさんは燃え盛る家の中に突入し、逃げ遅れた住人を救出しました。
亡くなった男性は生まれた時から知っている方だったそうで、助けに入ったけれど、”熱すぎて、体が蒸発するかと思う程”だったと、火災現場の壮絶さを体感したそうです。
安倍晋三元首相の護衛
2019年4月、安倍晋三首相(当時)が大阪で街頭演説を行った際、地元で顔が利き腕っぷしの強い人物を探していた関係者から依頼を受け、アンディ南野さんがボディガードを務めました。
アンディ南野の職業・年収は?
アンディ南野さんの年収は格闘技ジム経営の規模や多角的な活動を考慮すると、数百万円から1,000万円以上は可能ではなかと推測されます。
キックボクシングジム経営
アンディさんは、大阪府大東市でキックボクシングジム「T.B.NATION(ティー・ビー・ネイション)」のオーナーをしています。
友人からジムを譲り受けたことがきっかけだったそうです。
現在は200人ほどいると言われているジムに成長しましたが、ジムを始めた当初は「趣味でやっていたようなもの」で、会員も20人ほどしかおらず、ずっと赤字経営が続いていました。
しかし、結婚し子どもが生まれたことをきっかけに、「自分が稼がなければ」と強く意識し、ジム経営に本腰を入れるようになりました。
現在ではジムの経営も軌道に乗り、不良少年や不登校生徒の支援も積極的に行っています。
また、ジムの認知度向上のためにノベルティグッズの販売や、アマチュアキックボクシング大会「T.B.NATION CUP」の開催も行っています。
引用元:YouTube【アンディ伝説】
その他にも、「MONEY FIGHT」という、各試合ごとに観客から「マネーボックス」へのカンパ(寄付)を募り、その全額が勝者の賞金となる、新しい試みも行っています。
「実力を磨くことと稼ぐことの両立」を目指し、選手自身のPR力や個性も問われるスタイルが特徴の大会です。
防犯パトロール
引用元:Instagram【t.b.nation_andy_】
アンディさんは、天満警察署や大阪市、北新地料飲協会などから依頼を受けて、北新地で防犯パトロール活動も行っています。
そのきっかけとなったのは、アンディさんが35歳ぐらいの時、兎我野でお店を出している友人から「キャッチが多くて困っているので、なんとかしてほしい」と頼まれたことでした。
友人から相談を受けたアンディさんは、自分の存在感や百戦錬磨の経験を活かし、若い子たちを数人連れパトロール活動を開始。
この活動が評判となり、やがて警察や地域団体からも正式に依頼を受け、2020年11月から北新地での防犯パトロールを担うようになりました。
「暴力男」から「街の安全を守る存在」へと役割を転換し、「信用回復」にもつながる大きな転機となったエピソードです。
適材適所で自分を必要としてくれる場所に据えてもらったことで、社会的な信用や自分自身にもプラスになっていると感謝しています。
アンディ南野の家族や嫁は?
引用元:Instagram【t.b.nation_andy_】
2018.2月
アンディさんは38歳で結婚しています。
それまでは、今でいうニート以上に親に頼って生活しており、自身で「寄生虫」という表現も使う程、ご両親に甘えていたようです。
しかも、40歳で喧嘩で死にたいという考えで生きてきたため、結婚についてあまり前向きではなかったそうです。
しかし、8年間付き合っていた彼女(現在の奥さん)はアンディさんより年上でした。
40歳を超えると子供を産みにくくなるという彼女の言葉を聞いて、彼女の人生を背負っていかなければと考え、結婚を決意。2017年6月には凛太郎くんが生まれました。
アンディさん自身、結婚や子どもの誕生で「人生が修正できた」と語っており、現在のジム経営や社会貢献活動に本格的に取り組む大きな転機ともなっています。
まとめ
アンディ南野さんは、破天荒な武勇伝と人情味あふれるエピソードで多くの人を魅了してきた“伝説の喧嘩師”。
そんな彼が、ついにBreaking Down16で、安保瑠輝也chの鉄拳男・てる選手と対戦決定!
しかも今回はアンディさんの地元・大阪での開催。何度も挑戦してやっと決まった念願の本戦出場です。
その熱い漢の想いが、地元大阪のリングでどんなドラマを生み出すのか。
Breaking Down16に向けて期待が高まります。